禅寺丸です。
鳥取出身。現在は東京で事務員をしながら、青果で働いています。
バックグラウンド
バックグラウンド
思い返せば、とても良い子でした。言い換えると「考えない人」です。
学生までは常にバイト原則禁止・非推奨という環境でした。
それを従順に守って、学外でバイトせず勉学に励みました。
そしてある日、大学を卒業しました。
3月まで仕事禁止なのに、4月から仕事するのが当然に変わったのです。
当時まったく意味が分かりませんでした。
なんかよくわからないけど今生きるお金だけあればいいと思い、フリーターになりました。
- 飲食店(ホール・キッチン)
- 大学の講義補佐(Excel)
- 中学生の家庭教師
- 精肉加工業者
- コンビニの店員
- 医療事務
- ドラッグストアの品出し
- スーパーのレジ
- 研究所の実験補佐 etc…
最長記録は飲食店で、5年働きました。
悩めるフリーター
毎日楽しく働いていましたが、勤務時間が不規則で収入も不安定でした。
さすがにもっと見通しの立つ、安定したところで働く必要があると思いました。
最初は正社員を探しました。
しかし田舎は車がないと正社員として働けませんでした。
当時のハローワークの職員いわく
パチンコ屋しかないですね…
ギャンブルには無関心なので、魅力的ではありません。
少しでも興味を持てて、安定したパートの仕事を探すことにしました。
・・・・・
そこで見つけたのが青果部門の求人だったのです。
青果
- 小松菜とほうれん草って、どこが違うの?
- そもそも果物の名前わからない…
- 生しいたけって、生で食べられるの?
・・・まるで、あてにならない店員でした。
(生しいたけは加熱が必要です)
青果に力を入れている企業だったので、1年半みっちり教え込まれました。
おかげで作業場の仕事は一通りわかるという自信をもちました。
青果の仕事はとても好きでした。
しかし車を持たず田舎で生活するのは難しく、上京することにしました。
正社員
東京に来て、飲食店の正社員になりました。
気のいいメンバーたちと楽しく仕事をしました。
ところが、違和感がありました。
正社員がダイレクトにかかわる「企業という構造」に馴染めなかったのです。
職場での実務にはすぐに溶け込んだものの、どうにも居心地が悪く、1年で辞めました。
青果の魅力
学びなおし
再び青果でパートとして働きはじめました。
まずはお店にある野菜をすべて買ってみました。
どの商品について聞かれても答えられるようにしたかったのです。
季節の移ろいに合わせて商品も変わるため数年かかりました。
さらに新しい野菜や果物が現れて、まさにエンドレスです。
だけど地道に学んだおかげで、商品説明のためにお客様からお声かけいただけるようになりました。
自分が買い物をするときにも、安くておいしい旬の時期を逃さず手に入れられます。
また、旬が過ぎてしまって、傷んでいる可能性が高い商品を避けられるようになりました。
見切り品の中からも 新鮮なものを見つけられるよ!
そして、いつしか青果売場に来て10年以上の月日が流れました。
活気のある人々
田舎の青果で働いていたとき、生産者が店舗に来ることがありました。
きくらげ、フルーベリーなど育てた商品を売り込むのです。
うちのが一番、うまいからね!
・・・カッカッカッと笑いながら
楽しそうに、お客さんとお話をしていました。
また、売り出しの日には、地元農家の第一人者がスーパーに来ました。
自ら作物を商品化して店頭に出し、売り込みます。
生産者が仕事に誇りと熱量をもっていて
スタッフも巻き込まれて、どんどん売りたくなる。
とてもすがすがしい空気感でした。
ルーツを知る
ある日、青果のスタッフが言いました。
昨日雨だったから、今日のレタスは水がいっぱい入ってるね。
また別の日、お客さんが言われました。
なんて立派なブロッコリー。うちで作ってもこんなのできないよ。
生産地の状況によって、作物の状態や育ち方が変わります。
年によって少しずつ、旬の時期が違います。
お店の野菜や果物は、どこかで誰かが育ててくれて
生産地から運んできてくれています。
それをはっきりと感じられるのが青果のおもしろさです。
さいごに
以上のように歩んできたわけですが・・・
せっかくなのでここで情報を共有したいと思い、ブログをはじめました。
青果を知ることで、よりお得に、より豊かな生活を楽しめるようになりますよ。